2026年6月7日日曜日

梅雨入り

  6月に入り梅雨入りしました。季節的には梅雨時期なのに、温暖化のせいかピンときませんでした。少し寒さを感じますね。それにしても線状降水帯の発生が心配です。この雨で水不足も解消し、田んぼにも水がたっぷりですね、恵みの雨で稲も育つでしょうね。自然界に仕組まれる神様のわざに感謝です。人の心にも神のことばという栄養たっぷりの糧が注がれるときに育つのですよね。 礼拝でも純粋な神のことばを丁寧に解き明かすことを心がけています。 少しづつですが、詩篇の面白さに気づかされています。 一見バラバラに見える詩篇が実に見事に編集されているのですね。驚きと感動です。

2026年6月7日主日礼拝式次第

聖書:詩篇 10:1~18

宣教:「神を見失ったとき」

<アウトライン>

1.主への叫び(1~2節)

 10篇には表題がない そのため9篇と10篇とはもともとは一つであったと考えられたりもしてきた ローマカトリック教会は、LXXやヴルガータ訳(ラテン語訳)に倣い、この2つ一つの詩篇9篇としている ともにアルファベット詩篇であり、9篇がℵ(へブル語アルファベットの最初の文字)から11番目のכ(英語のK)で終わっているのに、10篇では次のל(英語のL)から始まっていて連続しているとも考えられるのです。不思議ですね。しかし、違いもあり、プロテスタントでは別物としている。 9篇では主なる神は「義なる審判者』であり信じる者の「とりで」となってくださる、そして必ず悪者に厳しい裁きを下されるお方だとダビデは信じているが、それにもかかわらず現実はそうはなっていないことにダビデは悩み苦しむ。それが10篇の「なぜ」という言葉に  我々の周りでも同じことが  この詩篇から学べる

2.悪者の栄光と思い(3~11節)

 9:20にも拘わらず、現実はそうはなっていない 10;1 「主よ」 このことばは契約が強調 イザ55:11 そんな神だとダビデは経験的に確信している しかし今は? 遠く離れている。ようだ 不平不満ではなく、心からの祈り ダビデの周りでも2節 悪者の特徴が ①プライドが高い ②強欲 傍若無人 神はいないと心の中で 便宜的無神論者 彼らは裁かれることなくむしろ繫栄している ここに信仰者の悩みが

3.神への信頼(12~18節)

 神が遠く離れているように思えたが、違っていた 14節 神はすべて見ておられていた 祈りがむなしく空間に吸い込まれていくように思えたときでも、神は知っておられた  とはいえ祈り続けることは、言葉でいうほど簡単ではない また一朝一夕に身につくものでもない 試練と訓練  16節 イスラエルがかつてカナンの地での体験に基づく 神の契約と約束の実現   地から生まれた人間 たとい力を持ち繫栄しているようでも、弱い人間に過ぎない 契約の神を信じることが一番 

<適用>

 不条理はいつの世でも 罪の蔓延の世 信仰者は悩む しかし神は17節後半