2020年2月19日水曜日

Fukushima50の試写会を見て

 昨日「Fukushima50」の試写会を見てきました。 門田隆将さん原作によるものです。
2011年3月11日の地震と津波による福島第一原子力発電所で発生した前代未聞の事故の状況を、門田さんの丁寧な取材に基づく現実的な壮絶な現場の方々の命を懸けた闘いを描いた作品でした。 撮影で現場を再現して、当時の方々がそこを見られたとき、フラッシュバックした、と門田さんがおっしゃっていましたが、それほどリアルにできていたのでしょう。 この闘いに命を懸けた方々のことを、海外メディアが「フクシマ フィフティ」と呼んだのだそうです。
 あの日はあまりにもたくさんのことが起こりすぎて、消化もできず、それでいて年月の流れの中で忘れつつあるのが個人的な感想でしたが、これを見て現場の方々の命を懸けた熱い思いが伝わり、と同時に感謝の念が起こってきました。 
 ただ、吉田所長の「自然の力を軽く見ていた」といったような内容のことばが印象的でした。
 人類が制御できていないものを利便性からだけで利用してきた、人間のエゴのようなものを感じます。未だに、廃炉についても汚染水や処理の方法も場所もその他も何も決まらないのに、小さな島国に次々と原発を造り、再稼働しているのはどうなんでしょうか? 

 本来は人に自然を管理するように託されながらも、アダムの罪以来、人も自然界も呪われてしまい制御できなくなていることに気づいてはいません。 それでいてまるで人の力ですべてを制御できるかのように傲慢にも思い込んでいるのです。
 地球温暖化問題も然り、南極でも20度を超えて氷が溶けているのです。このため海水面が上がり、水没しまう危険のある島々もあるさえ言われています。 それなのにーーー
 本当に自然界の前に、人とは小さいものだと思わされます。

「結局のところもうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(旧約聖書 伝道者の書 12章11節)







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