2024年4月27日土曜日

ペサハの中で

  ゴールデンウイークが始まりました。今年は円安が急速に進んでいて、コロナ前とは全く事情が違いインバウンドが増えてきているようです。 その上気温も高い傾向になりそうです。 涼しいはずの北海道でも28度を越えているとか、かつてはこれは沖縄だったのでは? この連休中も高温が続くのでしょうか? このままいくと、夏はどうなる事やら・・・ 

今はイスラエルは、ペサハ(過ぎ越しの祭り)の最中です。22日の初日に狙っていたようにヒズボラからの攻撃がありました。 中東での緊張状態は続いています、がイスラエルもイランも直接の本格的戦闘は避けたいはずでしょうから一挙に進むとは思えませんが、暗雲立ち込める状況は変わりません。  皆が平和を望みながらも、人の力では何もできないのでしょうね。 一日も早く神の国が来ますように!と祈ります。


2024年4月28日主日礼拝式次第

聖書:ヘブル人への手紙 9:23~28

宣教:「模型と本物」

<本日の聖書のヒント>

1.天の幕屋はきよめられる必要があるのか?(23節)

 23節は前節からの連続 「天にあるものにかたどったもの」=天の幕屋の写し、影、型である地上の幕屋 幕屋は神の臨在の象徴  神は罪を嫌い罰するから 聖なる神に人は近づけない   「贖い」とは? 贖いを民に教えるための視聴覚教材として地上の幕屋 人は自分で贖うことはできない 代理贖罪 罪は死に値する 23節の後半に疑問?天の幕屋はきよめられる必要があるのか?  ある解釈は、御使いの堕落のゆえ  地上の至聖所での大祭司の奉仕の姿から 地上ではそうだが 天では? キリストの贖いは実体 キリストの死は神を満足させた キリストのみわざのこと

2,神の御前に(24節)

 地上の幕屋の意味は 天の霊的真理を地上で伝えるには 人間は自分にとって価値のある尊いものを神に支えるることで、神に近づこうとする 愛と献身  その根本を忘れて形式主義に  Ⅰサム15:22 神への完全な従順 キリストこそがその従順を全うされた

3.ただ一度の(25~26節)

 地濃の大祭司とキリストとの対比 ①「年ごと」と「ただ一度」  ②「自分の血でない血」とキリストの「ご自身の血」

<結論>

神の約束・遺言書の有効性


2024年4月20日土曜日

初夏のよう

  4月の下旬に入ったばかりなのに、最高気温が25度前後というまるで初夏のようです。半袖の人も多いのですが、それよりも個人的にはなんといっても花粉がすごい。桜とヒノキの花粉の状況が近いとか、もうしばらくの辛抱かな? それに黄砂も加わってとんでもないことに。中国本土はこんなもんではない。今年は中国は雨が少ないそうで、例年に増して黄砂がすごいとか、どうしようもないのでしょうか? 身体にも危険が・・・来週にも再来の可能性もあるようです

 イスラエルとガザの戦争、イスラエルを取り巻くアラブ諸国の反イスラエル側との緊張関係が強まってきています。イランとの本格的な戦闘状態には双方が避けているようですが、今後も緊張関係は続くでしょうね。 このせいもあってか、ウクライナ問題があまり報道されていませんが、この時にも人の命が奪われているという悲しい状況は続いています。ロシアはEU等の経済制裁にも拘わらず、かえって内需が拡大しているとか、またエネルギーもあり、戦争は続くようですね。 人とは悲しいものですね。身近な人が亡くなるのは辛く悲しいのに、遠くの人や関係のない人の命には無関心なんですよね。 無関心ほど、恐ろしいものはない。 

祈りの友から、心痛むニュースが次々と届いて言葉にもなりません。祈りは、神様を動かす打ち出の小槌ではないので、祈りによって事態の解決ができるわけではないだけにもどかしいですね。 祈りは聞かれる、それは神のみこころににかなえばであって、私たちの願いが叶うことではない、とわかってはいてももどかしい。 信仰がないから祈りが聞かれない、と責める必要はないので、主の御守りを祈るばかりです。心痛めながら週を越えます。 思いを新たに新しい週を迎えられますように! 

今年度の教会の主題聖句を日に何度も思い起こし、どうすれば、また何をすればと祈るばかりです。一人でも多くの方に福音を!また、ヘブル書の適用としての、信仰の挫折で苦しんでいる方々が復帰できるようにと祈ります。

いよいよ今日からヘブル書の講解に戻ります。まず自分が総会以前(ヘブル書)に戻ることから始めます。 ヘブル的思考とユダヤ的背景からこの手紙を学ぶことで、聖書が一層輝きが増してきて、主にある幸いを感じます。さあ頑張りましょう!

2024年4月21日主日礼拝式次第

聖書:ヘブル人への手紙 9:15~22

宣教:「契約の血」 ヘブ(60)

難しい内容で時間の関係でひょとすると第三ポイントは次回に回さざるを得ないかも?覚悟のうえで臨みます。

<理解のヒント>

1.永遠の資産にあずかる(15節)

 「こういうわけで」とこれまで語ってきたことを踏まえて キリストが仲介者に 「仲介者」とは? 神と人との間に立ちとりなす 神と人との妨げ、障壁=罪 それを取り除いて モーセの律法は恩恵を与えるもの 罪に違反を贖う手段もある  新しい契約の時を待つ必要が 聖餐式の時のキリストのことば・・・マル14:24

2.遺言書の批准(16~18節)

 ニコデモとイエス様の会話 ヨハ3章 「風」と「霊」の関係 ギリシャ語で同じ言葉 これと同じ事がヘブル書でも 「遺言」と「契約」の関係 「 遺言」はいつでも書けるが。効力を発揮するのは死亡してから これが神の契約にも  古い契約の履行中にエレミヤを通して「新しい契約」をたてると 契約の効力発揮は、批准による いけにえとの関係 創世記15:7~20 契約の方法 キリストの死により批准 

3.地を注ぎだすことと罪の赦し(18~22節)

出24:3~8  この背景の解説  21節から 契約の批准から地によるきよめの問題へ 出40章の聖別から  「血」と「贖い」の関係

<適用>

 血の重要性

 


2024年4月13日土曜日

桜満開

  四月に入り桜も綺麗に咲き誇り、その中で新学期も入学式も行われたようですね。いよいよ新年度って感じですね。 そんな中でも、祈りの友からのつらい祈りの課題が次々と届き、その状況に驚き言葉さえも出ない日々です。言葉で「祈っています」というのはやさしいけど、その責任は重く厳しいものです。「祈りは聞けれる」とはいっても、願いが叶うということではなく、みこころにかなえば成就する、ということですが、苦しいものの思いは、どこにどうすればいいのでしょうね。でも神はそれを知ってらっしゃいますし、見守っておられることは確かです。それを信じて主のあわれみにすがるのみです。 「祈祷は祈闘である」と言われた牧師がいますが、本当だなと痛感しています。 こどもの時間から教会学校への準備も思ったようには進まず、祈りと協力者、そして教会の理解が大切です。教会の祈りがなければ・・・

 イースターの伝道礼拝に次いで、新年度の教会の主題聖句と2週にわたりヘブル書から離れていましたが、また再開です。その前に11章の信仰の人を取り上げます。今回は「サラ」です。 創世記を学んでいた時には、サラが信仰の人だとは思ったことがありませんでしたが、ヘブル11:11~12を見ると驚きです。人の見る目と神の見る目の違いを痛感します。 創世記はサラよりもアブラハムに重きが置かれていますので、アブラハムの陰に隠れていますね。 改めてじっくり取り組むと、また面白い!

2024年4月14日主日礼拝式次第

聖書:ヘブル書 11:11~12

宣教:「信仰の人 サラ」

1.旅立ち

家父長制の時代に聖書に女性の名前が出るのも珍しいが、その年齢が記されているのはの皿の事、サラだけのこと。 127年の生涯(創23:1)  サラはアブラハム抜きには語れない。夫婦だから でも二人は異母兄妹(創世記20:12)という関係 モーセの律法のずっと前のことだから  年の差10歳 カルデヤのウル(月礼拝の地) ヨシュ24:2  使徒7:2~3  具体的な血が示されないままに、神のことばに従って旅立ち  この時同行者がいる父のテラ、兄弟のナホルとその家族、もう一人の兄弟のハラン(この時には亡くなっている)の息子、甥のロト  創31:13、Ⅱペテ2:7から  ここに家族伝道の姿が アブラハムとの字ような環境にある我々にもヒントが

2.旅路の途中

 ウルからハランへ 一財産を築けるほどの長期間 父テラの死後 神の顕現で再出発アブラハム契約が 3つ ①子どもの祝福 ②土地の祝福 ③アブラハムを祝福する者の祝福  要は「子」  それなのに何十年もその兆しすらない  世のしきたりに従い ハガルをアブラハムの側室に  身ごもったハガルの態度の変化にいら立つ いじめと追放 神の介入でサラのもとへ イシュマエルの誕生 

3.信仰によって

 これでもまだ 諦めが忍び寄る イシュマエルか? 神の顕現 創世記18:9~15 男の子、イサクという確かなことば  サラの不信仰の笑いを喜びの笑いイサクへ 神のことばは菅らず成就する 90歳でイサクの誕生 

2024年4月7日日曜日

新年度に入りました

  慌ただしい一週間が過ぎました、新年度に向けての準備等トラブル続きで、ストレスMaxです。ついにはパソコンの異変で週報印刷もできず、涙・・・つい先日はワードの問題、今回は原因不明です。誰か助けて! 花粉もヒノキになり症状も変わってきました。困ってらっしゃる方も多いでしょうね。 桜の美しい時期と花粉とが重なり楽しめませんね。
 
立法府の情けないニューズにうんざりです。何と不正直な議員が多いことでしょうか。ただ一言、ごめんなさいが言えないのは罪人の証拠ですね。

新年度最初の礼拝は、教会の主題聖句です。Ⅱテモテ4章の「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」です。いつもの講解ではないのですが。色々考えさせられましたね。

2024年4月7日主日礼拝式次第
聖書:Ⅱテモテ 4:1~4
宣教:「みことばを宣べ伝えなさい」

<本日のヒント>
1.若き伝道者テモテ
 パウロ殉教寸前の手紙 テモテへの励まし テモテには大きな信頼を 使徒の働きやパウロ書簡から
2.若き伝道者テモテ  
 直接的にはテモテへだが、イエスの大宣教からも明かなように  すべてのキリスト者への命令 3つの危険が
3.真理・健全な教えから
 世と教会の関係 心理から反れた教え ラオデキヤの教会の姿

<結論>
伝道に方法論はない 全ての火谷チャンスが 教理の確立

2024年3月30日土曜日

黄砂到来

  寒暖を繰り返しながら年度末になりました。あっという間の一年でした。桜の開花もまじかでしょうが、花粉もスギとヒノキも始まり、それに黄砂も到来してきました。大変だ!2030年問題と少子化等を考えながらの教会形成には頭を痛めます。神学教育をさせていただいた学び舎の入学者は4名だとか、神と教会に仕えていく者が減っていくのも心配です。外のことも心配ですが、自分自身と教会の将来をずっと考えています。 神を信じてさえいれば何とかなるのならいいのですが・・・そうはいかないのが現実ですね、祈りとともに、あるべき教会を求めて、ともに歩んでくださる方が起こされるように、と願うばかりです。 今は少人数ですが、それだけに宣教(教理による信仰の確立)と信仰継承を両立を今は励むばかりです。  教会学校再生へ、教理の学びを終えた方々とともに始めていきたいと願っています。幼子たちが主を信じて喜ぶ姿を夢みながら!

受難週の中で、主の御苦しみを例年以上に感じています。こんな者のためにあんなにも耐えてくださったこと、感謝に耐えません。 今日は復活祭です! 何という素晴らしい日でしょうか。 礼拝では、これぞ福音というものをお伝えしたいと思っています。福音のすばらしさが忠実に語れるように、と願います。タイトルは「いのちの君」です。一人でも多くの方に聴いていただきたい!と願いを込めて。

2024年3月31日主日礼拝(復活祭)

 聖書:使徒の働き 3:14~15

 宣教:「いのちの君」

<本日の要点>

1.歴史上の事実

 イエスの弟子の筆頭格のペテのことば キリストの復活の生き証人としてのことば ルー・ウオレース 

2.聖書が語る「死」

 「死」をどうとらえるか? それに対し、聖書は「死とは肉体とたましいの分離」 創35:18 死の原因は? ロマ3:23  死と死語のさばき(ヘブ9:27) 聖であり正しい神の前に絶望的 

3.聖書の語る「死」の解決

 神の歴史に対しての直接介入 ヘブ2:13~14 キリストの十字架の意味  Ⅰペテ3:18  ヨハ11:25 

2024年3月23日土曜日

受難週の始まり

  今年も受難週を迎えることになりました。主の受難について年々思うことが変わってきています。よくもここまで耐えてくださったと、感謝に耐えません。そばにいた弟子たちも頼りにならず、身も心もお辛かっただろうと。

 今年は年度内に二度の復活祭という年です。素晴らしいことですが、年度末ということもあり教会総会と重なり慌ただしいですね。 今年の復活祭のテーマは「いのちの君」です。近年では、ロシヤのウクライナ侵攻といい、イスラエル・ガザ戦争といい、命が無駄に失われているのが悲しいですね。 世界中が戦争とまではいわないまでも、分断という悲しい現実が立ちふさがっています。 教会にすらサタンが忍び込んできて主の教会としての輝きを失わせています。 エデンの園でサタンが分断を持ち込んで以来、罪が支配している世界中に分断があふれています。 聖霊の働きでバラバラになっていた世界が一つにされて教会が誕生したのに、その主の教会が再びサタンによって分断の道へ、  今こそ神のことばと信仰へ立ち返る時でしょう。

2030年問題も大きく立ちふさがりそうですが、信仰をもって前進したいものです。

礼拝ではヘブル書も9章に入り、出エジプト後の荒野の幕屋について学び終わりました。本当に本書がユダヤ的なものと、また、自分がいかに異邦人であり旧約聖書を読み飛ばしていたかを痛感しています。理解が進めば、イエス様の仰っていることや新約聖書の理解も深まってきます。これが聖書なんだと!


2024年3月24日主日礼拝

聖書:ヘブル人への手紙 9:11~16

宣教:「贖罪の日とキリスト」

<本日の理解のヒント>

1.すでに成就したすばらしい事がら(11節)

 シナイ契約で律法に示されてきたことの成就者としてのキリスト 「新しい契約」が到来した キリストの十字架、復活、昇天  信じる者の心を新たにし、キリストの律法を刻んでくださる そしてペンテコステと これらはアロン系の大祭司の「贖いの日」によってではない ヨハ2:18~22  

2.赤い雌牛による(13節)

 これまでの贖罪の日には出てこない、赤い雌牛の灰  これについては民19章  死体に触れることによる汚れからのきよめ 牛は普通、黒かぶち、赤い牛とは? タルムードの中に興味深い記事が  贖罪の日に赤い雌牛を ユダヤ教が踏襲

3.キリストの血によるきよめ(14節)

 鍵ことばは、「血」と「注ぎかける」  「血」の重要性  注ぎだされた血のみが有効

しかし、キリストの死因は、失血死ではない  最後の晩餐のことばが意味するもの

<結論>

キリストの血潮と死んだ行ない


2024年3月16日土曜日

もう13年

  東日本大震災から早13年が過ぎました。復興の度合いには地域ごとのばらつきがあるでしょう。 それにしても早いものですね。原発の処理もまだまだ未知数です。あれ以来どれだけの大きな地震被害が出ていることでしょうか。被災者の方々にとっては、いつも現在なのですよね。今年の元日の能登半島地震もまだまだ大変でしょう。 つらいですね。

 少しづつ温かさが増してきていて、春が近づいているのでしょう。毎日花粉で悩まされています。 土筆は昨年はもうそろそろでしたが、今年はまだです。明日また調べます。土筆から筍とが春の楽しみです。

いよいよ教会も年度末を迎え、教会総会の時期です。 2030年問題も他人事ではなく、当教会もいろんな現実的な問題を抱えている中での総会です。一致と希望の総会になりますように! 

パソコンのトラブル(未熟さ)でご迷惑をおかけしています。

明日の礼拝も主の臨在と祝福の中で行われますように!

2024年3月17日主日礼拝

聖書:ヘブル人への手紙 9:1~10

宣教:「祭司の奉仕と幕屋の限界」

<本日の聖書のヒント>

1.祭司の務め(6節)

 原文では6~10節は長い一つの文。6~7節では、祭司と大祭司の務めの違いを 残りの3節は、その意味が  聖所には祭司のみが 祭司は聖所で何を? 出エジとレビから 

出27:20~21 メノラーの油と芯の交換 香をたく(出30:7~8) 安息日にはパンを供えるパンは12個 意味は?  ルカ1:8~12 ゼカリヤ 

2..大祭司の務め

大祭司には他に祭司とは違う務めが 至聖所での奉仕 年に一度だけ  レビ16:2 大祭司の服装 レビ16:4 血を携えること 2つの奉仕が  アザエルの山羊について 

3.幕屋の限界性

 幕屋は神の啓示による 地上の幕屋は一時的なもの 聖所は祭司を、至聖所は大祭司を 地上の幕屋はレビ的祭司 天上のまことの幕屋はメルキゼデクの位に等しい大祭司を 

<結論>

1.アザゼルの山羊レビ16:21

2.地上の幕屋と天上の幕屋

3. ガラ3:23~26