本日はキリストの「復活祭礼拝」でした。 世界中で祝われる素晴らしい日です、が、今年は事情が少し違い、新型コロナウイルスの大きな影響で、残念ながら少し寂しい礼拝となりました。
各地の非常事態宣言もあり、私たちもキリストの教会としての使命と責任を痛感しながらも、ウイルスの感染拡大の危険性も考慮しなければなりませんでした。
そのため教会として「自粛」をいかにうけとめるかーーキリスト者として公的礼拝をささげることとそのことで感染に一役を買うことになるとするなら、証にもならない、いや社会的非難の対象にさえなりうる、とーー いかにあるべきか?
いかにすべきか?と悩み苦しみ答えを求めて祈ってきました。 そして、キリスト者としての愛の実践としてこういう結論を出しました。(主に喜んでいただけるものであってほしいのですが)
神様の与えてくださった命を守るために、隣人を愛する積極的行動こそが「自粛」といえるのではないか! 最前線で戦っておられる医療関係者の方々にこれ以上の負担をかけないためにも。
こうして教会員一人ひとりの判断で、少しでも感染に不安のある人は、自宅での家庭礼拝にする、と。 教会の礼拝と同じ時間にそれぞれの家庭で礼拝をささげることにしました。
説教は、メッセージボックスにすでにアップロードされているので。
教会の医療関係者たちとその家族は、自主的に自粛を選択されて、人数的には寂しい礼拝となりました、が、精いっぱいの賛美と礼拝をそれぞれささげました。
Ⅱテモテ 1:9~10をテキストとして
①ウイルスの正体の見極めの難しさがサタン的であること
②感染力、伝染力の激しさは罪も同じである
③どちらも破壊的な力を持つ
④そして致命的結果をもたらす
ウイルスにはワクチンが待たれるが、罪に苦しめられている人間には、罪の結果の
神の永遠のさばきから解放されるために、キリストの十字架とその確かさの保証された復活がすでに与えられている。
この永遠の保証を確認できました! なんと感謝なことでしょうか!
課題はできれば何らかのかたちで、礼拝そのものを配信して共有できないか?と。
良き知恵を求めています。