2022年4月30日土曜日

日が長くなってきた

  台風のような雨風の後に、素敵な日差しを受けてゴールデンウイークに入りました。 ツツジも美しく咲き誇っています。 コロナの感染者数も相変わらず高止まりのままでのゴールデンウイークにも拘らず、コロナ以前のような人の動きになっているようです。ここ数年の行動制限もあったせいもあるのでしょうか、コロナ疲れや以前ほどの緊張感も薄れているようにも思えます。 海外ではマスクなしの生活の国も出ているようで、うらやましいですね。 ウクライナのこともコロナのことも、エルサレムの平和同様に一日も早い収束を祈るのみですね。

今年もイースターを終えて、再び礼拝は黙示録の学びにもどってきました。ただでさえ難解な黙示録ですから、間隔があくと元に戻るが心配です。 いよいよキリストの再臨になりました。これから、ハルマゲドンの戦い、千年王国、新天新地へと、進んでいきます。とはいえ、内容は深いですね。 楽しみと苦しみが入り混じってきます。

2022年5月1日礼拝式次第です。

前奏  招詞 (詩 121:5~8)

讃美 13 

主の祈り / 祈祷 / 使徒信条 /こどもの時間

感謝祈祷 /献金

讃美 177

聖書 ヨハネの黙示録 19:17~21   黙示録(80)

宣教  「神の大宴会」

讃美  326

聖餐式 

頌栄

祝祷


<報告>

・次主日は「母の日」です。

<本日の要点>

1.神の大宴会(17~18節)

  むごたらしい光景だが、これはキリストの戦い後の様子  勝利も約束されている

  中天・・・8:13 これから起こる戦いの勝利と祝宴の予定が 参考 マタ22:2~4  

  マタ24:28・・・エゼ32:17~20

2.ハルマゲドンの戦い(19~21節)

 キリストと反キリスト軍との戦い  ここには派手な戦闘シーンは一切なく、むしろ一瞬で決着がつく  キリスト軍と反キリスト軍の戦いではない。



2022年4月23日土曜日

ゴールデンウイークを前に

  春もたけなわ、タケノコ(私も初筍採り済)も出回りヒノキ花粉も終わりに近づいてきました。にもかかわらずコロナの感染者数は減るどころか、高止まりです。  また、ロシアのウクライナ攻撃もまだまだ続いています。 21世紀にこうした非道なことがまかり通るとは? 命が失われ、兵糧攻めにもなりかねない・・・。 またそれに伴う(まだかも?)物価の高騰と、日に日にあたたかくなる中で、心が暗くなる情報は減ることはありせん。    それどころか世界中を見渡すと、地球が破滅しそうな状況はあちこちにあります。インドとパキスタンも一触即発状態、ミャンマー問題、中東問題、南極の高温化等々です。 誰しも  平和を求めながらも、実質的には国連も実質的には機能不能が露にされているだけのようです。 第三次世界大戦を避けるため(これはとても大切なことですが)  こうしたことは、これもこれまでにもあったことで、人は悲しい歴史から何も学んではいないのですね。 これが罪の影響下にある人の姿でしょうか。こうした悲しいことは、まだ終末そのものではありません。 聖書の言う終末は、きっともっと酷いことになるのでしょうね。 しかし教会には、聖書とキリストのいのちが与えられており、希望があります。

先週の礼拝には、久しぶりに二人の新来会者をお迎えすることができました!

礼拝では、受難週、新年度、イースターと黙示録をお休みしてきましたが、今回から復帰します。 キリストの再臨を学び始めています。 

2022年4月24日礼拝式次第

招詞 135:1~3

讃美  3,172,165,544

聖書  ヨハネの黙示録 19:11~16 黙示録(79)

宣教  「王の王、主の主」


<本日の要点、参考箇所>

1.王としてのキリスト(12節)

  「目」・・・1:13~14、テアテラの教会へも  「王冠」・・・2つの冠のうちの王のかぶる「冠」=キリストは地上のすべての王国の王  人の理解を越える「名」が

2.キリストの描写(13節)

  啓示された一つの名  再臨のキリスト   ①血の染まった衣・・・十字架の地ではない

  これからの戦いによる血 イザ63:1~3  ②神のことば  ヨハ1:1、Ⅰヨハ1:1

3.戦うキリスト(14節~16節)

 「軍勢」複数形・・・マタ26:53 黙12:7参照  「口から剣」・・・イザ11:4  

 「鉄の杖」2:27 12:7  詩2:9  メシヤの支配


戦うのはだれか? 武器は何か?

2022年4月16日土曜日

復活祭に

  今年も受難週を終えてイースターになりました。春の日差しの中で多くの花が咲く中でイースターを迎えることができるのはいいですね。喜びが増します。 ライブ配信では画像が頻繁に切れているようで申し訳ありません。今回から高速通信で配信して改善を試みますね。

 状況は必ずしも喜ばしいものではありません。コロナも第七波ともいわれるほど、感染者数はたかどまりで、ウクライナ状況も心痛むのは残念ながら変わってはいません。どちらも一日も早く収束してほしいものです。祈るばかりです。

イースターの説教内容も、コロナ以降「いのち」を取りあげてきましたが、今年もまた、「いのち」をテーマにしました。 元々イースターそのものが「いのち」なのですから・・・一人でも多くの方に参加していただけるといいのですが、少しでも励みになれることを期待しています。

2022年4月17日イースター礼拝

讃美 151,146,352,543

聖書 ヨハネ 4:14

 「永遠のいのちへの水」


<梗概>

1.生命の尊さ

   詩139:13~16

2.今あるは神の恵み

3.尽きない泉

  マタ 16:26 ヨハ 4:14


諸教会の礼拝に主の祝福を祈りつつ!

2022年4月9日土曜日

受難週へ

   春よりも初夏に近い季節になっています。半袖でもちょうどいい感じです。桜の時期とヒノキの花粉の時期が重なるそうで、花粉症の身には辛い! でも温かい日差しはうれしいですね。 コロナは減少傾向から増加傾向で第七波ともいわれ始めています。いつになったら、落ち着けるのでしょうか?待ち遠しいですね。 ウクライナではロシアの蛮行が明らかになり,戦火も長引きそうですね。こちらも一日も早く平和が訪れてほしいと願い祈っています。

いよいよ今年も棕櫚の主日を迎え、受難週に入ります。主の御苦しみを今一度思い起こしたいものですね。 復活祭を前に、イスカリオテのユダを取り上げます。おそらく誰もが知っている人物ですが、考えさせらることも多いですね。 春の喜び、復活祭も楽しみですね!

2022年4月10日主日礼拝

詩 95:1~3 

讃美 30.164,300,542

聖書  ルカ 6:12~16 「不名誉な肩書」


,<本日の要点>

不名誉な烙印 

  新約聖書には5人のユダが登場 ①ユダの手紙の著者ユダ イエスの弟(マタ13:55、マル6:3) ②12使徒のひとり (ルカ6:16) ③使徒9:11 ④バルサバ(使徒15:22~33)

 ⑤イスカリオテのユダ・・・12使徒のリストでは2つのことが特徴的22:47 最後。イスカリオテ

2.12弟子の中で

  他のユダの違い・・・イスカリオテ=ケリオテの人、 ケリオテ=①エレ48:24,41 アモ2:2 モアブ

  ②ヘブロンの南 ケリヨテ・ヘツロン ヨシュ15:25   弟子団の会計係 13:29,12:6 ヨハ12:3~5

  マル14:9 このすぐ後に主を裏切る マタ26:14~16  ルカ22:47~48 マタ27:3~5 

  使徒1:18

3.ユダの評価

  ヨハ13:18 21~28 マル14:20~21  使徒1:25 ヨハ17:12

 なぜ、そんなユダが12使徒として選ばれたのか? 

  滅びのの子が滅びた

結論

ユダの擁護説がある・・・ユダが裏切ったからイエスがキリストに?

聖書と運命論 宿命論

後悔と悔い改め

2022年4月2日土曜日

新年度を迎えて

  新年年度といえば、桜や菜の花の彩の中で迎える心ウキウキの季節ですね。でも世の中は正反対の状況です。一斉に所得以外がすべて?値上がり傾向と悲しいニュースです。 思ったよりもいろんなものが値上がりしていますね。 さらには、寒暖差の激しいこの時期、花粉症もあり、コロナもあ り、身体が大変です。 これからの経済の混乱が心配です。 春は復活祭の季節です。キリスト者にとっては嬉しい素晴らしい時です。

新年度最初の礼拝は、例年教会の主題聖句の説教から始めます。今年度は、ローマ15:13です。「望みの神」について解説したいと思っています。  同じ思いで一年を送れれば、いいですね。 

2022年4月3日主日礼拝 

讃美 22,聖歌 604(望みも消えゆくまでに) 

讃美 297,205,541

聖書 ローマ 15:13


<説教の要点>

1.パウロの置かれている状況

  ロマ書はいつ、どこで書かれたか?・・・使徒20:2~3 その頃は?  帝国とユダヤ人からの迫害   ロマ8:28の理解は? パウロの持つ世界観

.失望と絶望

  神理解は信仰生活の大きな影響を 聖書中の絶望の例 詩42:5~6a    

  しかしロマ5:5 10:11 Ⅰペテ2:6  どんな状況でも神は変わらない

  詩119:71

3.古の聖徒から学ぶ

  新共同訳では「望みの源である神」  15:4 古の聖徒たちの苦難。忍耐から学ぶ

  ヘブル書の主題も同じ ヘブ12:1

  聖書中の種類の例

  ①不信仰の例 Ⅰコリ10:10~13

  ②信仰の例  ロマ4:23~24 

人には絶望はあってっも、神には絶望はない! 望みの神に信頼して歩もう。