2024年4月13日土曜日

桜満開

  四月に入り桜も綺麗に咲き誇り、その中で新学期も入学式も行われたようですね。いよいよ新年度って感じですね。 そんな中でも、祈りの友からのつらい祈りの課題が次々と届き、その状況に驚き言葉さえも出ない日々です。言葉で「祈っています」というのはやさしいけど、その責任は重く厳しいものです。「祈りは聞けれる」とはいっても、願いが叶うということではなく、みこころにかなえば成就する、ということですが、苦しいものの思いは、どこにどうすればいいのでしょうね。でも神はそれを知ってらっしゃいますし、見守っておられることは確かです。それを信じて主のあわれみにすがるのみです。 「祈祷は祈闘である」と言われた牧師がいますが、本当だなと痛感しています。 こどもの時間から教会学校への準備も思ったようには進まず、祈りと協力者、そして教会の理解が大切です。教会の祈りがなければ・・・

 イースターの伝道礼拝に次いで、新年度の教会の主題聖句と2週にわたりヘブル書から離れていましたが、また再開です。その前に11章の信仰の人を取り上げます。今回は「サラ」です。 創世記を学んでいた時には、サラが信仰の人だとは思ったことがありませんでしたが、ヘブル11:11~12を見ると驚きです。人の見る目と神の見る目の違いを痛感します。 創世記はサラよりもアブラハムに重きが置かれていますので、アブラハムの陰に隠れていますね。 改めてじっくり取り組むと、また面白い!

2024年4月14日主日礼拝式次第

聖書:ヘブル書 11:11~12

宣教:「信仰の人 サラ」

1.旅立ち

家父長制の時代に聖書に女性の名前が出るのも珍しいが、その年齢が記されているのはの皿の事、サラだけのこと。 127年の生涯(創23:1)  サラはアブラハム抜きには語れない。夫婦だから でも二人は異母兄妹(創世記20:12)という関係 モーセの律法のずっと前のことだから  年の差10歳 カルデヤのウル(月礼拝の地) ヨシュ24:2  使徒7:2~3  具体的な血が示されないままに、神のことばに従って旅立ち  この時同行者がいる父のテラ、兄弟のナホルとその家族、もう一人の兄弟のハラン(この時には亡くなっている)の息子、甥のロト  創31:13、Ⅱペテ2:7から  ここに家族伝道の姿が アブラハムとの字ような環境にある我々にもヒントが

2.旅路の途中

 ウルからハランへ 一財産を築けるほどの長期間 父テラの死後 神の顕現で再出発アブラハム契約が 3つ ①子どもの祝福 ②土地の祝福 ③アブラハムを祝福する者の祝福  要は「子」  それなのに何十年もその兆しすらない  世のしきたりに従い ハガルをアブラハムの側室に  身ごもったハガルの態度の変化にいら立つ いじめと追放 神の介入でサラのもとへ イシュマエルの誕生 

3.信仰によって

 これでもまだ 諦めが忍び寄る イシュマエルか? 神の顕現 創世記18:9~15 男の子、イサクという確かなことば  サラの不信仰の笑いを喜びの笑いイサクへ 神のことばは菅らず成就する 90歳でイサクの誕生 

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