2021年3月20日土曜日

患難を考える

 今日は「春分の日」だったようで、土曜日とはいえ人出が多かったですね。コロナの感染者数が増えないといいのですが―――。今週は暖かい日が続いてt過ごしやすかったですね。花々が美しくなってきました。桜ももう真近でしょうね。ワクワクする反面、花粉症がきついのでつらいです。 年度末が近づいてきて、今年度は、コロナ禍で一体主の教会として何ができただろうか? マイナス面だけを見て悲しくなるだけで終わっていないといいのですが。こんな時こそ出来ることがあるはずです、それに目を向けれたかどうか、でしょうね。 歴史の中で生まれてきた誤った教会中心型の伝道方式や聖職者と信徒といった分離主義が壊れて、初代教会に立ち戻る良い機会であったように思います。これこそが愛する身近な人への愛の表し方でしょう!

 3月21日の礼拝では、黙示録の連続講解をいったんお休みして、黙示録における患難の意味について学びなおしたいと思っています。 麦と毒麦のたとえをはじめとして、たとえからすれば、患難期前携挙説は考えられない、ことに城と思います。

2021年3月21日 礼拝式次第

前奏

招詞       詩46:1~3

賛美         11

主の祈り

祈祷

使徒信条   

こどもの時間

感謝祈祷

献金

賛美        255

聖書    ヨハネの黙示録  7:13~17

宣教     「なぜ患難が?」

         黙示録(31)

賛美        494

頌栄        543

祝祷

報告


<報 告>

・4月4日が復活祭です。



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