秋といえば実りの秋と言われますが、今年はどうでしょうか? つい先ごろ令和の米騒動と言われて、スーパーなどからお米が消えてしまう?という報道がなされています。私どもの近辺ではそこまでひどくなないのですが・・・ でも夏以降の異常な高温と雨不足や関東以北の線状降水帯による大雨等で、お米以外の農作物にもきっと大きな影響が出ているのではないでしょうか? かつては日本は四季でそれぞれの季節の旬の作物が楽しみでしたが…。 食事のたびに世界中で戦争や貧困で食べるものに事欠く人がいる中で、日々豊かな糧が与えられていることを覚えて感謝して祈っています。 でも「大食い競争」的な番組や、様々なところで廃棄されている食の多さには悲しみと驚きを覚ます。 もっと食の大切さと自給率の向上を考え直すべきでは、と個人的には思います。
礼拝式の中で「みこころが天で行われるよ地でも行われるように地でも行われますように」と祈りますが(言葉だけになってないといいのですが)、現実は主のみこころとは違った状況が続いています。悲しいことですが… 主のみこころをます求めることが教会なのに、みこころではなく自分の思いや願いをかなえるを求めてはいないだろうか? これでは礼拝にはならないでしょぅ。
かつては日本の教会は伝道に力を入れてきたと思いますが、いつまでたっても人口の1%を越えることはなく、何となく熱意が失われてきたのでは? 今必要とされているのは、もっと信仰者一人一人が聖書をしっかりと学ぶっことではないでしょうか? みことばに根付かない礼拝や教会生活は、何をも生み出さない、もっとみことばを学び、みこころを知る信仰者が起こされることを祈るばかりです。 主の栄光を表す集団になりますように!
礼拝では、ヘブル書11章の信仰の義人を学んでいますが、アブラハムの学びにはいりました。ユダヤ人なら説明なしで十分なのでしょうが、われわれ異邦人は、旧約聖書に通じていないために、旧約聖書を通して、「信仰によって」学んでいっています。面白いですね。
2024年9月15日主日礼拝式次第
聖書:ヘブル人への手紙 11:8~12
宣教:「信仰によって(5) アブラハム、サラ」ヘブ(80)
<本日の理解のヒント>
1.アブラハム・・・他国人のように(8~10節)
偶像礼拝者から神に召しだされて契約をいただいて信仰の第一歩を踏み出したアブラハム アブラハム契約 約束の地に到着したが、先住民がいる 天幕生活・・・いつでも旅立てる 他国人のように 約束の地に入ったにもかかわらず、得たのはマクペラの地の一部 創23:4 アブラハムは信仰の目で 黙示 21:2
2.アブラハム・・・イサクトヤコブ(9~10節)
アブラハムは神の契約を通しの地が地上ではなく天の都を信仰の目をもって見ている。 イサクとヤコブとともに 家庭において信仰と神の約束が継承 「都」には原文では定冠詞が 黙示21;2 アブラハムはこれを見ていた
3.サラの信仰(11~12節)
創世記からサラの印象は・・・信仰の人? 著者は違う 11節で女性初めての信仰が 創18章 御使いのアブラハムへ値の約束と次のソドムとゴモラ事件 サラはこれを見て神の約束の成就を確信 11節の「子」 原文では「種」(口語訳) アブラハムとサラとで初めて 創22:17 ロマ4:18~21
<結論>
啓示と信仰
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