天候不順のまま大型連休に入りました。説教準備に追われていて世の中が連休に入ったのがぴんときませんでしたね。 政府の新型コロナ措置終了が前倒しになり、国内外の移動が急に激しくなりました。 せっかくの楽しい連休や移動の事故や感染拡大等で台無しにならないといいのですが・・・
個人的には、4月20日に5年ぶりでの潮干狩りに出かけました。久しぶりの潮の香の中で、何とか海の中で採貝に励みましたが、平日にもかかわらず地元の方がたくさん来られていて驚きました。これじゃ貝が取れなくなるのは無理ないな、と思いました。帰ってきた翌日に、そこも禁止になったという連絡が入りました。これで今年もおしまいか!!残念! 本当に温暖化のせいで海水温が高くなって、貝にも住みにくくなっているのでしょうねここにも人の罪の影響があるのですね、自然界は回復を待ち望んでいます。
礼拝ではヘブル書の講解が続いています。 聖書は異文化の古典ですから、しかもそれを翻訳したものを読んでいるのですから、われわれ異邦人には理解が及びにくいところも多々あります。できるだけ、歴史的背景や地理、文化、宗教的背景に加えて文脈に注意しながら解き明かしていきます。 少しでも理解の助けになれば、と願いつつ!
2023年4月30日主日礼拝式次第
前奏
招詞 詩89:6~8
讃美 22
祈祷
使徒信条
こどもの時間
感謝祈祷
献金
讃美 168
聖書 ヘブル人への手紙 3:1~6 ヘブル(18)
宣教 「イエスは使徒であり大祭司」
讃美 391
頌栄 541
祝祷
報告
熊本の馬場姉から買わぬ温かい祈りとご支援が届きました。お忙しい中にもか変わらず、姉の神様への真摯な姿勢に学ぶところが大きいです。
<本日の要点>
Ⅰ.信者の位置づけ(1節)
「そういうわけですから」・・・これまで著者が論じてきたことに基づいて 著者は受取人読者に向かい、なんと呼ぶか 「聖なる兄弟たち」 ただの兄弟ではない 「聖なる」という修飾語が もう一つは「天の召しにあずかっている』地上目線から一転天へ目を ピリ3:20 「私たちの告白する信仰」という訳について 新共同訳や新改訳2017では「信仰」とい言葉はない 原語にもない 「私たちが公に言い表している」
Ⅱ.イエスのことを
「イエスのことを考えなさい」 「これまで信じ学んできたイエスについて、もっと理解を深めなさい」か 何を通してどのように
Ⅲ.イエスの2つのタイトル
「使徒」…12使徒ではないのか? スカルの井戸の女性は、イエスを預言者として
イスラエル12部族に基づく12使徒は、福音書から黙示録まで続く 当時のヘブル的背景からの理解 ヘブル書では天からの見方
ヘブル3章はモーセとイエスの対比 ヨハ1:17
「大祭司」 元々はアロン モーセではない なのにこの対比 出エジプト以降では実質的な大祭司の働きをしたのは、モーセ 出エジプト32章 金の子牛事件の時 民14章のカデシュ・バルネア事件においても、とりなしの祈り
このモーセとイエスの対比
<結論>
イエスの理解