寒暖を繰り返しながら年度末になりました。あっという間の一年でした。桜の開花もまじかでしょうが、花粉もスギとヒノキも始まり、それに黄砂も到来してきました。大変だ!2030年問題と少子化等を考えながらの教会形成には頭を痛めます。神学教育をさせていただいた学び舎の入学者は4名だとか、神と教会に仕えていく者が減っていくのも心配です。外のことも心配ですが、自分自身と教会の将来をずっと考えています。 神を信じてさえいれば何とかなるのならいいのですが・・・そうはいかないのが現実ですね、祈りとともに、あるべき教会を求めて、ともに歩んでくださる方が起こされるように、と願うばかりです。 今は少人数ですが、それだけに宣教(教理による信仰の確立)と信仰継承を両立を今は励むばかりです。 教会学校再生へ、教理の学びを終えた方々とともに始めていきたいと願っています。幼子たちが主を信じて喜ぶ姿を夢みながら!
受難週の中で、主の御苦しみを例年以上に感じています。こんな者のためにあんなにも耐えてくださったこと、感謝に耐えません。 今日は復活祭です! 何という素晴らしい日でしょうか。 礼拝では、これぞ福音というものをお伝えしたいと思っています。福音のすばらしさが忠実に語れるように、と願います。タイトルは「いのちの君」です。一人でも多くの方に聴いていただきたい!と願いを込めて。
2024年3月31日主日礼拝(復活祭)
聖書:使徒の働き 3:14~15
宣教:「いのちの君」
<本日の要点>
1.歴史上の事実
イエスの弟子の筆頭格のペテのことば キリストの復活の生き証人としてのことば ルー・ウオレース
2.聖書が語る「死」
「死」をどうとらえるか? それに対し、聖書は「死とは肉体とたましいの分離」 創35:18 死の原因は? ロマ3:23 死と死語のさばき(ヘブ9:27) 聖であり正しい神の前に絶望的
3.聖書の語る「死」の解決
神の歴史に対しての直接介入 ヘブ2:13~14 キリストの十字架の意味 Ⅰペテ3:18 ヨハ11:25