6月21日は夏至(一年で最も昼の時間が長い一日)でした。中々梅雨明けしない夏のような日々でした。雨になると大雨でした。 これからは本格的な蒸し暑い日々になりそうです。 中国では大雨洪水が起こっていたり、アメリカでは熱波だと伝わってきています。世界中が温暖化のせいで(?)様々な混乱が起きているに違いないでしょう。 人は委ねられたこの世界の管理に失敗したばかりか、人間本位の考えと合理性の追求でますます自分の首を絞める結果になってしまっています。 片や気候変動に加えて各地の戦争や内乱等で、難民がついに1億2000万人を越えたとか、驚きですね。 理由はともあれいつも弱者にしわ寄せが来るのが悲しいことです。
神様の目から見るとノアの時代と何にも変わっていないのではないでしょうか。「みな、いつも悪いことにだけ傾く」(創6:5)のをご覧になって悲しんでらっしゃるのではないでしょうか? 蒔いた種は必ず刈り取らなければならない、のですから、仕方がないのでしょうか。人の罪のせいで狂った自然界も苦しみの回復を求めているのでしょう。 回帰不能点を越える前に何とか出来るといいのですが・・・ きっと神様も待っていらっしゃるのではないかと思います。
最近の政治家も目先の対策ばかりで、先を見る目は持ち合わせていないようですね。世界や日本の将来がどうなるのがいいのか、そのために必要な政治を打ち出せる方はいないのでしょうか? 少子化対策に関しても人口妊娠中絶に関しては、何も触れられてはいません。実際どれだけの命が失われているのか、それを救済する(赤ちゃんポスト、特別養子縁組制度等あります)だけでも、神様に喜ばれるでしょうに・・ それさえも国会で議論もされることもなく、的外れな法案ばかりです。 良し悪しは別にしても、アメリカの大統領選挙では、大きな争点なのに。 信仰者も、どこを見ているのでしょうか? 神と神のことばに向いているでしょうか? 人間の眼で現実ばかりを見つめているのでは? ヘブル書の11章では、「信仰によって」生きた人々が出てきます。この世の基準ではなく、神の目で、神の評価で生きた人々です。学べば学ぶほど面白いですよ。かつては人物伝として学びましたが、講解説教では違ってきますので・・・期待していてください。
ヘブル書も10章の後半に入りました。 「こういうわけで」という言葉で始まる長かった教理の適用です。 前回から本文の学びをおいて、「教理」についてその重要性と歴史的観点からの学びをしています。
また先週から「こどもの時間」も教理の学びを終えた方にも奉仕を担当していただいています。もっと増えてくださることを楽しみにしています。7月からはいよいよ教会学校へ移行します。信仰の継承のために!
2024年6月23日主日礼拝式次第
聖書:ヘブル人への手紙 10:19
宣教:「健全な教え」ヘブル(69)
<ヒント>
1.教理の役割(19節)
「こういうわけで」という一言に、著者の苦労の安ど感が読み取れる。長い、しかしこれ以上まとめることのできない「キリストの大祭司論」を終えて、いよいよその適用に 説教とお話し・講演との違いは? 教理に基づく実践へ エペ4:16 テト2:1 ユダ3
2.教会の多様性
聖書は啓示の書として完結 異端と正統派の違いは? 異端ではないのにキリストの教会には多くの違いが キリスト教史から 聖書のグレイ・ソーン モーセの律法との違い 具体例として ルターとカルヴァンの違い 洗礼式、幼児洗礼、聖餐式等の違いはどこから?
3.福音派の弱点
教理は教会による 礼拝を重ねれば身につくか? 聴衆の心理・・・聞きたいことだけ、鋭いフィルターで振り分け 正しい姿勢は、使徒18:11~12 福音派には、教理アレルギーが 歴史的背景から 宗教改革・・・ルネッサンス、人間中心 心の宗教へ 敬虔主義 福音派もこの流れのなか 2つの危険性が
<結論>
1.教理化の長所と短所 2.新約聖書自体が教理・信条の形成を 3.神のご計画全体
4.正統と異端の区別 5.自分の信仰がはっきり語れる
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