2024年6月29日土曜日

豪雨でした

  昨日は梅雨のさなかの日差しのある一日でした。しかしまた今週には梅雨前線がやってくるとか、線状降水帯の発生が激しくなりその言葉にも慣れてきました。それだけ気候変動が進んでいる証拠ですよね。沖縄では梅雨明けしたとはいえ、まだのところではあちこちに被害が出ないといいのですが…温暖化の影響はどこまで進むのでしょうね? 戦争等による諸物価値上りも続き、また今年も暑い夏になりそうで、冷房等にかかる費用も大変になりそうです。 こうした中で先見の明を持つ政治家は出ないものか、とつくづく思わされます。

  アメリカの次期大統領候補(?)のテレビ討論会もひどいものでしたね。 アメリカの国民はこの二人以外の選択肢はないのでしょうかね? もっと良き政治家が出てほしいものです。 今年は世界中で指導者の選挙が行われていますが、どこの指導者は一緒なのかな? ますます悪に流れていきそうです。残念ですが・・・  最近ぼやきが多くなってきました。

 教会はどれだけ「主を恐れる」ことを知っているでしょうね? 畏敬の念ではなく恐れるべき神としての神を! 愛の神を求めても恐るべき神を見ていないのでは? ヘブル書11章の「信仰によって」生きた先人たちとは違うな! 教会も世の流れに否応なしに影響されてるように思いますね。 悲しいですが…

 教会も7月からは「こどもの時間」が「教会学校」へと移行します。すでに学びを終えた兄による「こどもの時間」も始まり、少しづつ備えが進んでいます。年度途中の変更でいろいろハプニングもあるかもしれませんが。子供たちには信仰継承につながっていってほしいものです。主の祝福を! 

礼拝でのヘブル書も70回目に入りました。皆よく忍耐してますね。この学びを通していかに旧約聖書を知らないか、を痛感しています。皆そうでしょうか? 11章に入ってもそれは続きますが・・・

教理の学びを終えて、適用に入ってきました。この適用は、今の我々にも通じるものがあります。期待して

2024年6月30日主日礼拝式次第

 聖書:ヘブル人への手紙 10:19~25

 宣教:「信仰の実践へ」ヘブ(70)

 

<本日の理解のヒント>

1.聖徒の特権(19~21節)

 ここは前の9:1~25との対比 地上の大祭司は年に一度だけ至聖所に キリストの贖われた聖徒たちは違う 聖所と至聖所の間の仕切りの幕  創世記3:24 神と罪人を仕切るために置かれたのが炎の剣とケルビム それも模したのが、幕屋・神殿  キリストの十字架は マル15:28 ついに開かれる それゆえヘブル0:19~20 「動物のいけにえの血」ではなく「キリストの血」により イエスこそまことの家の大祭司 信者はその家 教会の概念が 

2.神に近づく(22~25節)

 この4節は原文では一文  主動詞は「近づく」  どのように神に近づくか?を4つ適用 

①信仰の実践(22節) 「注ぎ」とか「洗われ」地上の大祭司を念頭に レビ8:30,

 出40:12~13   適用では Ⅰペテ3:21b   二つのことばは完了形 一度だけ

②希望の告白(23節)

  希望と キリスト者にとってロマ10:10 目に見えるしるしだが同時に義認と聖化  望みが外に マタ7:21 約束された方は真実 

③愛の実践(24節)

 信仰と希望は一人でも可能 愛は相手があって初めて可能に 実践の場が教会  キリスト者には交わりが 新約聖書中最多の命令は「互いに愛し合いなさい」これこそがキリストが生きている証拠

④集会出席の勧め(25節)

 素手の混じ笑いから離脱したものが ここでは完全な離脱を意味する 強化のすばらしさはマタイ18:20 いつもどこにでもおられるとともに再臨の主として その日を待ち望みつつ

この4つを実践すること

<結論>

万人祭司主義と牧師職について

 


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